時々なんですけど、朝起きる時にちょうど頭の後ろの耳のあたりが痛いし、おでこを触ったら冷たい感じになるんです。寝起きの頭痛という感じで。それで、たまたま休みの日だったんで、「一回近くの脳外科に行って検査してもらうわ」と言って、それで、CTを撮ってもらって、そしたら異常なかったんです。それで、一週間後に結果を聞きに行ったんです。それで、先生が、「あぁ良かった。異常なかったんですか?どこか詰まりよるかと思ったけど大丈夫やったわ」とおっしゃったんで。
仕事がね、時間がすごくハードというかね。家はヘアサロンで、従業員が割りとたくさんいて、広いんですよ。一分一分で仕事するような感じで、それに、主人がヘアサロンと別に事業を始めて、私にそれまで主人がしていた仕事も背負うことになったので、私が頑張らないといけないからという気持ちになり、自分がむちゃくちゃしたんですよ。一日12時間ぐらい働いて。トイレに入るとやっぱり頭が痛いという感じは時々ありましたから、疲れでね。その時に梗塞とかいうのは雑誌とかで見聞きしているでしょ、その時に頭にいろんなところの血管を押さえて、パッと離したら通りが良くなって治るとか言って、そう書いてあったわ、と思ったりして、トイレに入っている間、頭をこうしてグーッと押さえて、それでリラックスするとか、「これでもう大丈夫」と思って、またサロン出でて、そんな仕事の仕方でしたから。自分では小さい時から割りに丈夫できつい薬を飲んでもそんなに胃にこないし、内臓は元気なんですよ。私が何か病気になるとしたら、癌の心配と頭と、そのぐらいで。
ある時、病院から「ちょっと気になるからとおっしゃってるんで、来ていただけますか?」という電話があったんですね。やっぱり気になりますから、「いつでも良いですよ」と言われたんですけど、「それやったら、今すぐ行きます」と言って、その日がたまたまお休みの日で、主人が後から追いかけてきてくれて、行ったんです。そうしたら、「あれが見つかった」ということで。
ネットで色々調べてね。その前に、あわてて近くの循環器センターに、そちらに行ったら、「すぐに手術や」と言われてね、でも、ネットで調べてみると意外とそうじゃなくって、今まで見つからなかったものが見つかった。そして、その動脈瘤を抱えたまま健康に暮らしている人もいるし、必ず破裂するということもないわけで、やることは従来やっていたことをやるだけということでね。N先生が、画像処理をされて、その後説明の中で、「手術もリスクがあると、しないのもリスクがある」と、ネットでほぼそれに近い内容は把握してましたんですけど、ご自分の体験を踏まえて、先生からのありのままの現状を聞かせていただいたんで、非常に感謝したんですけど。それで、先生方も我々も人間であると、神様ではないと、こう思いながら一生懸命するんだけど、例えば100例中何例かは、これは手術せんかった方が良かったかなということも現実にはあると。それはご自分でしない方が良かったかなという自分の中での迷いがあるというような話まで、していただけて、本当にありがたかったですね。こんな話を聞かしてもらって良いのかなぁということと、我々としては、家族と相談したんですけど、今破れていないと、じゃ明日破れるかもしれないけど、70になったら破れる確率はすごく下がると、年齢的にね。という話を聞いていまして、あと10年間お付き合いしながら、破裂しないで生きていけるかもしれないね。無論それ以外のことでも死ぬかもしれないけど、まあ、二人とも今の流れでいうと、手術は怖いです、正直なところ、こうしてリスクを抱えて現実に我々生きているわけやから、こんな病気じゃなくてもリスクはある程度抱えているわけやから、だとすれば、確率もそんなに40%とか50%とか何であればね、躊躇することも難しいであろうと、でもね、先生の話を聞けば、ひょっとしたら運良くこのままいけるんじゃないかという甘さもね、我々の中にはあるんです。
絶対に手術もしなかったらいけない状態なんであればお願いするけども、この状態でいれるんやったら、手術しないでやってみよう、それで何があってもその時は気持ちよく受け入れられるように、毎日を過ごしたいと。この病気がわかるまでも、毎日を大事にして、生かされているという何年間を生きていたいというのが考え方の根本なんです。別に宗教はこれといって持っていないんですけど、主人とも、この前N先生の話を聞いて、それまでは手術すると99%決めていたんですけど、…
それまでの病院でのお話で、流れとして、どの先生も手術した方が良いという、それに看護婦さんのラッキーだったね、という言葉も強く残っていましたし。でも、N先生のするのもリスク、そのままでしないのもリスクという現実的なお話で、それで、コロッと変わって、…大丈夫とは言わないけれど、しなくても確率として自分の中でこれぐらいなんやということを知りたかったし、先生とのお話の中で、しないということを申し上げた時に「定期的にこちらに受診に寄せてもらっても良いですか」と言うと、そうしたら、しない人間の経過みたいなものもまだ確かなデータもないというようなお話しでしたから、それで、こういう状態で見ていただけますかということでお伺いしているんです。これは二人で一緒に真剣に考えて、子ども達を含めて真剣に考えて、…子どもらはやはり手術をした方が良いとか、せん方が良いとかいろいろ意見が分かれて…大きさとか場所とかを説明して、そうしましたら、私は手術されない方が良いと思いますよ、ということで、ずっと職場での私を見ていらっしゃる方ですから、手術は賛成じゃないというようにその方はおっしゃってくださったんで、余計に心強くなって。
その点は主人が本当によく理解してくれていて、人間いつかは最後があるんだよ、その最後をきれいにしてやりたいというのが主人の思いだと思うんです。私が感じるのは、でも、私が夜中に「どうしても頭が痛いんや」と言った時やったら救急車呼んだり病院へ連れて行ったり、普通やったらそうすると思うんですね、でも冷静に考えて、その時に行ったら、病院としては頭が痛いということであれば処置をせざるを得ないんです。ほっとくわけにはいかないんですから。その時に、手術した方が良いのかとか、後の状態を考えたりして。横で見ていたら、これは連れて行かなくても、このままちょっと様子を見て、「頭を開けるつもりなら行こうか」と言うんですね。それなら辞めるという感じで…
頭が痛いというのは神様の教えで、気をつけなさいというね、ずっと以前に出来ていたのかもしれないし、それをずっと持ちながらでも、ヘアサロンの仕事しながらこうして生かさせてもらっているというのは、まだあなたは生きていなさいよ、という神様の天から授かった命かなあー、というようなことを思って。
主人が優しくなったんです。今までは私が主人をカバーしてきたんです。倒れられては困るという感覚でしたから、何でも自分でしてた分を今度は逆になって、ありがたいなあーと思うというのがあって、気を遣ってくれるというか、無理をしたらダメだって言って…かわったことといったら、それが変わったのかなあー。ああー、これが夫婦の絆というか
<家族:夫>
私が留守をしている時に起こったらどうしょうもないことですけどね。正直迷いますね、そんな時は本音でね。例えば、「痛い」と言って、病院に行ったら、じゃ手術ということで、そうしたら間違って手術されると言ったら失礼な言い方ですけども、しなくても良いことやったのかもしれんと。まあ、脳外科の先生のことだから間違いはないでしょうけど、どうしてもそんな流れみたいなものもあるでしょ、選ぶ病院や選ぶ診療科もあるし、たまたま運び込んだ救急車のこともあるし、結局は運び込んだそこでの手術ということになるんでしょうから。何が正しいのか、それは我々にはやっぱり選べないし。ただ、その瞬間、救急車に乗せるべきなのかどうなのか、それだけはしっかり見分けたいなあと思いますね。仕事はすごくセーブしてますね。それでもまだかなり働いていると思いますけど、働いている時の方が元気なんです。自分を忘れるんですよ。頭痛もないし、身体もきついし疲れるんですけど、その間自分を忘れることが出来るのがすごくありがたいんです。何となくこの病気は自分が作ったような気がして、だから自分で治しますなんて、最初先生のお会いした時に言ったりもして…これからどうなるか分かりませんけど、何とかやっていけるんじゃないかと思っています。