ちょっと年齢的なことがあって、何となく身体が具合が悪いと言うことで、ちょっと血圧は高かったんです。お医者様にね。血圧は高かったんですけど他は悪くないし、でもね、ありとあらゆる科に受診してもね、最終的には心療内科まで行ったんですけども、そんなどこも大丈夫だよって、そんな感じで、もし気になるようだったら安定剤でももらったらっていうふうなぐらいの結果で、どこも悪くないけど、自分では体調が悪い、身体が何となくっていうので、結局行きつけの高血圧で月一回お薬をもらっていましたので、そこで先生に訴えたら、じゃ、そのMRIですか、それがあるので一度撮ってみるか、ということをおっしゃって、結局それを撮って、見つかったんです。
 私の中では一番恐れていたというか、母がクモ膜下出血で17年ぐらい闘病生活を、それは倒れてしまって、すごい大変な病気をしたから、とりあえず手術はましたけれど。ちょっと一時期調子のいい時もあったんですが、ずっと右半身不随で障害車いすの生活で、父の大変なのを見て来て、私はああいう病気にだけはなりたくない、という思いがすごくあったんです。だから、母をかわいそうと思うのと、やっぱりああいう風になったら痛いも言えないし、あれだけには絶対なりたくないと思ってたのに、結局そういう破裂したら同じようなことじゃないの、って思ってしまって、見つかったことを良しとして治療した方がいいよって、検査ですか血管造影でもあるからということで、検査してそのまま入院したらって、言われたんですけど、私はもう絶対にもう一回家に帰りますって、わがまま言って、結局1ヶ月先ぐらいにするということになったんですけどね。ああー、これはもう逃れられない。K先生のお話を聞いていたら、うん、もうこれは逃れられないなぁっていうことが分かって。何か先生の前でも泣いてしまって(涙を流す)…。うん…全然軽い気持ちで、恐れているのに、まさか、っていうような気持ちでしたね。
 それで、結果的には、血管撮影をしないと分からないけども、やっぱりあるよ、というような感じで、とりあえず血管撮影をということで、6月末にしたら、やっぱりあって。その墓場までと言ったらおかしいんですけど、なにも破裂もせずに何もないかもしれないけど、破裂してしまったら大変だし、だから私悩んで、頭っていうことでね。これが手一本、足一本ということだったらいくらでもあげるから、頭だけはしたくないです。そんな開頭手術なんて絶対にしたくないと思ってて、でも検査結果がそんなことになって。それで、K先生が全部話してくださったら、これを抱えて怯えて生活するというのもね…家族はもう、お母さんそんなモノを抱えてなんて生活できないよって言うしね、だから、した方が良いのかなって、主人もまだ仕事には行っているんですけどね、何かあったら面倒見るというんですかね、そんな風にもし障害者にでもなったらということだったんだと思うんですけど、会社を辞めて何とかしないといけないから、そうするって言ってくれたんで、みんながそこまで言うのをね、これを抱えたまま生活をして、…破裂して…破裂してからでは遅い、ってK先生がおっしゃって、やっぱりしないとしょうがないかなって、でも、K先生のところに来る前に、私ね、大学の先生なんてきっと横柄な人だろうし、絶対に先生に会ってみて相性が悪かったら私はそこには行かないよって、他に病院を探すって、まあー、他にも病院がいくつかありますよって、言ってくれていたので。そんな風に思ってきたんですけど、K先生の話を聞きながら、あぁ、この先生だったら任せようって、そう思えたので、それで、検査結果で造影で検査した後もやっぱり1ヶ月ぐらいは辛かったですね。手術しますって、お返事はしたんですけど、やっぱりしなくちゃいけないのかなぁって、だから、どんな手術でもそうでしょうけど、絶対100%大丈夫ってはおっしゃらないですよね。だから、何か場所的になんて言うか、¥物忘れをするような神経か血管か何かそういうところの近くだから、私としたら、そういう後で後遺症が出るかもしれないということだったんです。たぶん私もカーッとなっていたのでよく分からないですけど、何もかも忘れて生きていたって…とか一人で思っていたんですけど。K先生のお任せして、何かあったらそれは、私の人生というか、運命だからと思って(こみ上げて涙を流す)…だから、何か、町を歩いていたらみんな元気な人ばっかりいて、辛かったですけど、入院してからは、もう、皆さん病人さんばっかりで回りがね、もっと大変な人もいらっしゃったし、何かもう、がんばんなきゃしょうがないっと思って。
 でも、きちんと検査して、その間はちょっとは不安だったけど、検査してみないと、と思ってて。分かって20日にしてから、入院までのその1ヶ月というのは結構辛かったですね。私が一番辛かったって自分では思うんですけど、やっぱり家族もすごく辛かったと思うし。だから、その1ヶ月ぐらいというのが、苦しかったですね。「やっぱりしないといけないんだぁ」と思って、何となく家の中をゴソゴソ片づけたりとか、ひょっとして、ひょとしてひょっとしたら帰って来れないんじゃないかって、そんなことを思ったりして。そんなことまで思わなくても良かったんじゃないかと思うんですけど。それで、結構友達なんかには言って、泣いたりとか、でも、いつもそんなこと考えていたらね、滅入ってしまうとか思って、なるべくは考えないようにして、って気持ちではいましたけど。何でこんなモノが…検査しなけりゃ良かったのかなぁ、とかも思ったり。結局、更年期みたいに体調が悪くなければ高血圧だけだったらね、薬を飲んでいるだけで、そんな検査はしていなかったと思うんですよね。ちょっと身体が頼りないとか、フラッとするとかということでどうしてもみんな頭って思いますよね。だから、母のこともあるので父の耳には入れられない、もう父はどんなにショックだろうかと思って、妻と娘が…父がどんなにショックで心配するかなぁと思ったら、父には言わないで、でも言わないっていうのも…とか思って、そんなところでも悩んだりしましたね。それで、弟がそれも遠いんですけど、どうかなって相談したら、弟が、必要だったら親戚とか親には自分が言うから、今はまだ言わない方が良いって、きっぱり言ったので、その件はもう任せておこうと思って、手術の日は遠くから来てくれたんです。
 手術の1週間ぐらい前に、入院する4・5日ぐらい前かなぁ、やっぱり、いても立ってもいられないと思って、家族にも言わなかったんですけど、一人でもう一回先生に話を聞いてもらおうと思うって、フィルムも何もなくて、そんな何もなくて来ても、って怒られたらその時には帰って来ようと思って、一人で…聞いてもらわないと私はもうダメだ、ダメだわって思って、行ったんですよ。フィルムも何も持たずに、それで、実はこうこうこんな結果になってて、もう間際に迫っていると、だけど決心がつかなくって、是非院長先生のお話をお聞きしたいって、とりあえず院長先生を名指しでね。それで、このくらいのモノがこういう所に、前交通動脈かな、できていて、3ミリだったかな?ということで、母もこういう病気でということを言ったら、やっぱり「それはした方が良い。せんといかん」って先生がおっしゃったんです。だから、フィルムの何も持っていかなかったんですけど、怒ることもなくて、「僕だったらした方が良いと思うよ」って。だから、あぁ、誰が見ても話を聞いただけで一緒なんだ、って思えたので、それでちょっと吹っ切れて、入院させてもらったんですけど
 だから、それがあるからと言って、もう頭が痛くてどうしょうもないとかね、そういうことがあれば、先生助けて、っていうことになるんでしょうけども、痛くも痒くもないのに、大変なリスクをしょって、大変な手術をしないといけない、っていうのが、やっぱり辛いというか、何か症状が出てれば、それは放っておけないと自分でも思えると思うんですけど、これが(動脈瘤)あるからと言って痛くも痒くもない、でも、大変な手術をしたいといけない、そこら辺が迷うところですかね。私も母がそういう病気だったし、何か新聞とか雑誌とかで、今は脳ドックとかで見つかって、手術を受けて早く見つかって手術をして元気になったとか、そういう記事を読んだりとかしていたんですけど、わぁ、この人偉いなぁって、そんな大変なわざわざ見つけてね、元気になったから良かったけれど、こんなみんな病気になれるのかなって、そういうふうに思いましたね、記事を見た時には。でも、そういうふうに前向きに考えている人もあるんだっていうのは思いましちゃけど、そこまでして予防した方が良いのかなぁって、でも、実際自分が見つかってしまうとね、悩みますよね。
 家族ですね。それと、K先生だったらって、紹介状を持ってきて、お話を聞いていると、なんか、すごく優しい感じで、大丈夫って、言ってくださって、なんか、相性が良さそう、って言ったら失礼ですけど、この先生だったらお任せしよう、って。それで、帰って主人にもそう言ったんですね。そうしたら主人も僕もそう思った、って言ってくれたんですね。じゃ、もう他には行かなくてここで入院させてもらおうか、って決めたんですね。
 それは、誰かに後を押してもらいたかったんでしょうね。家族とかそういう人以外のプロの人に、こうしなさいって。私は誰かに押してもらわなかったら、本当に進めないみたいなところがあって、ほんとうに私って恐がりなんですよ。本当にどうしたらいいか見えないって、感じで。
 自分は手術をしてもらって、元気になったんだからこれからの生活というのを、大切にというか、充実して過ごさないともったいないよって、自分で思っているんで、その遊ぶこととか、本当は人のためになることであれば良いんでしょうけど、でもそういうことはもうできないから、ちょっと充実した生活をしたいし、自分のやりたいと思うことをやって、とは思っているんですけど、今はそのへんの兼ね合いみたいなものでね…。