近くの個人病院で、耳鼻科に行きましてね。そこで診てもらってて、それなら、私も咳が止まらないからというんで、ついでにというか、それがきっかけなんです。
それで、したら、やっぱりちゃんとしたモノがはっきり分かって、もうそこでね、私には全部話してくださいっていうことで、やっぱり、いろいろと知りたいのでね。それで、その時に、“難しいところですね”って言われて、主人には30%ぐらいの成功率といわれたらしいんです。その先生に、“先生の奥さんやったら手術されますか?”って主人が聞いたらしいんです。後で聞いた話ですけど、そうしたら“うーん、やめておきます”っていうような感じで言われたらしいんです。やっぱり、それぐらい難しいところやったと言うこと。それで、一つの病院ではね、というので、H市の循環器病センターですね。そこにレントゲンを持っていって、そこで、それを見てもらったら、“迷っておられるんだったら、やめておいた方が良いですよ”ってそこでも、やっぱり、まあー、断られたと言うことですね。そういう感じで、…ずっとね。カテーテル検査をしたのが7月ぐらいだったと思うんです。それからずーっと、あのー、持ってるままその状態で、なかなか手術とかあんまり踏み切れないというか、そんな感じで店の方を手伝いはじめて、それでも、あんまり興奮したら、やっぱり血管のことですから、もし破れた場合にというのがあったんで、まあー、あんまり気分の起伏を激しくしないようにと思いながらお店をしていまして。O先生の方に診ていただいたら、確か、90%かそのぐらい命は大丈夫です、って言われて、それで、フッと安心して、主人も今までずっと断られてきて、それで、ここに頼もうかなあーということで。
自分自身が…(泣き出す)ごめんなさいね。思い出しちゃって…ダメになるって思ってたから、なるそうですね。そういうのでずっとしてきましたね。考えれば、やっぱり悪い方にしか考えないですからね、うん。
田舎に帰っても、姑さんが何にもしなくても良いからねって言われた時に、それって、針のむしろみたいで、嫌だったんでね。普通にしてもらったら、今はね、症状が全然出ていなかったんで、それが動いたらしんどいとか何かしたらしんどいとかだったら、ありがたいと思うんでしょうけどもね、そんなん、普通でしたからね。だから、なるべく無理をしないようにということで、それは家族の配慮というのもあったと思うんですね。お店もありましたから、それをやらないといけないという思いがあったから、それがあって良かったかなぁって、後で考えたらね。家でずっと専業主婦やったんです。一人だとどうしても考えることってそっちの方しかないんでね、もし一人でいる時間が多かったら、たぶん自分は落ち込んでたんだろうなっていうのは、振り返ってみたらそう思うんですけどもね。
それは…もう考えなかったんです、私は。考えると、いろいろと浮かんでくることというと、もうね。最悪の場合は命取りになるというのは…(涙)だから、もう、バカになって何も考えずにその日その日を暮らしていたというのが事実ですね。考えないといってもやっぱり頭の中には、やっぱりありますからね。だから、なるべくそのことの気持ちは避けようと思って自分から取り除こう、取り除こうという気持ちはありましたね。
それはショックでしたけども、それも、深く自分では考えないでおこうと思いましたね。それが一番で。もう忘れ去ろうというか、考えないでおこうというか…もう考えればそれこそ、悪い方にしか取れないから、身体はね、その代わりに大事にはしていましたけども、もし、これを走ったら命が危ないとかそういうように悪い方には考えないようにとは思って。何も調べたりもしなかったですね。知れば知るほどね。下の子がダウン症だったから、やっぱり調べたりしていたときには良い方には絶対に取れなかったんですよ。やっぱり、良いことは書いていないでしょ。だから、それは考えないでおこうというのがね。それは逃げていたのかもしれないけども。あまり、そういうのは考えないでおこうという気持ちが事実でしたね。調べたりそれをすると、何も出来ないですから。それとちょうど5月に主人が胃潰瘍で入院したんです。20日間ほど。そんなんで。あと、ちょっとお店を一人で守らないといけないということもありましたしね。いろんなことが…だから、お店をしていたから、まだ違うことを人とお話ししたりとかで、そんなんで良かったのかなあー、気を紛らわせていたのかなぁっていうのはありますね
極端に言うと手術で、危ないということもあることですけども、やっぱし、お部屋の片づけとか、回りの身支度ですね、普通でしたらして手術に向かうというのはありますね。ですけど、私は全くそういうのはやめておこうと思ってたんです。すると自分が逝ってしまっても良いかなぁというか、それを認めてしまうとういうか…。だから、身支度というと何ですけど、何にも部屋の片づけもせずに普通に生活をしてきましたね。
にこやかな顔をして確か90%か99%かそこのところはちょっと忘れましたけど。何かそれで、スーッと何か、自分の重荷が引いたかなぁというのは感じましたね。「もうこの先生に任せよう」と思って。もう何も考えずに、主人もそうでしたけども。元気になって帰れるんやっていう希望だけしか考えなかったと思うんです。
この先生に私の命を預けたっていう気持ちはありましたね。
何も、本当に自分自身ではあんまり、これで、この家には最後やなぁ、そういう気持ちは持たないでおこうというのが。それが、一番でしたね。だから、最後に、ちょっと、お金のあり場所とか、通帳のあり場所だけ主人に、入院する一日前かその日か、それぐらいに、これは普通預金にして、これは定期にしてとか、何か、そういうのをしたのが一日前かそれぐらいだったと思うんです。そうですね。そのことはね、ちょとね。うん。部屋の片づけは誰かがしてくれるんでしょうけど、ある場所とかは誰にも言ってなかったですからね。それぐらいで、もうこの家には帰れないっていうのは、ただ、この現金と通帳だけは言っておかないとっていうのは最後に、入院する前にそれがあったぐらいで。後は何も片づけなかったんです。家の中もその普通の状態で。
それこそ、あんまり考えんとこうって思ってん。難しい手術やっていうのは頭の中にはありましたけどもね。これは、考えない方が良いのかなぁっていうのが、それがありましたね。それこそ、症状が出てなかったからそれが出来たのかもしれないですね。自覚症状ですか、同じお部屋にいた人なんかは手がしびれるとか、何かいろんな症状を持って来られてて。その点は手術するまでというのは普通に元気で、何にもなしでその日を迎えましたからね。それは、良かったんかなぁ。何かがあって、したらやっぱりそっちの方がしんどかったり、手がしびれたりとか、そういうのを同じお部屋に人で聞きましたからね。お箸が持てないとか、スリッパが履けないとかね、そんな症状は何にもなかったから。もうそのまま。本当に、自分がバカになろうとか、うーん。考えれば絶対に悪いことしにしかならないですから。
何にもないのに、何で手術をしないといけないんやっていうのはありました、それはありましたけどね、でもいつどうなるか分からない爆弾を抱えて暮らすよりも、ちょっとでも、楽で楽しく出来たらなっていうのはありましたね。うーん。本当にバカなのかもしれないけど、本当に考えなかったんです。手術するまでは本当に考えないでおこうというのが、だから、本当に普通に暮らして、まあー、症状がないから普通に暮らせるわけですよね。何か、普通にしていたら良いんなかなぁっていうのは、自分に言い聞かせているというのもあったかもしれないですけども。たまたま検査で見つかったから運が良かったんかなぁと思って。まず、子どもからが初めでしたからね。それも、主人がおまえも続いているからついでに診てもらってきたらっていうのがきっかけでしたからね。それがなかったらたぶん行っていないと思うんです。症状が出てなかったからそういうふうに何も考えずに出来たのかもしれませんね。今思えば。普通の状態でしたから…。
そのことに関して、あまり、そればっかりを考えないで、手術に向かう事ばかり考えないで、普通にしてくれたというのも、特別扱いにはしないで、普通でしたら、痛いんやろう、大丈夫、とか言ってほしい方もいらっしゃいますね。でも、私自身はあんまりそれを言われると、なんか落ち込みそうで嫌なんでね、それは、みんなも分かってくれてて、普通にしててくれたのが結果的に良かったのかもしれないですね。