ちょっと頭が偏頭痛がしましてね。ちょっと心配だから…時々そういうことはあったんですけど、「でも診てもらっておいた方が良いから」って妹たちが言ってくれますので、頭痛は時々ね。寝不足でね。夜中に主人の介護で何回か起きますでしょ、3回ぐらい起きたりして、朝にちょっと頭がボーっとしてね。そうしてね。その時には痛くなくても夕方近くになって痛くなってきたりしてましてね、それじゃ、「一回診てもらっっておいたほうが良いよね」っていうことで、それで、診てもらったら、そういう動脈瘤があるということが分かって、もうビックリしてそれからはもう、半信半疑で病人みたいになってしまった。なんかもう、力入れたら怖いなぁとか、お父さんの介護もできないなぁ、とか、毎日不安な気持ちで。まさか、そんな動脈瘤があるとは予想外でしたからね、そうしたら、検査すると「どうもない」って言われたら、また一生懸命また介護の方に力が入りますでしょ。
 それからというのはね、力も出ないし、自分の方が不安で、毎日が。破裂しないかなぁとか、そういうことで何も出来なくなってきて、やっぱり手術した方が良いのかなぁって、でも怖いしね。先に延ばした方が、主人がもう今年か来年かというぐらいで危ないかなぁとか思っていたもんですからね、そういう気持ちもあったりして、最後まで看病してあげたいなぁって思ってたんです。だから、先に延ばせるもんだったら、延ばしたいなぁって。それで秋にちょっと不安な気持ちになったからね、他の先生に、今はセカンドオピニオンですか、そういうのもあるからっていうので、知っている先生に、●●医療センターの脳外科に先生にお聞きしたんです。そうしたら、「10人の内の8人まではやっぱりした方が良いって言われるからね」って言われたんです。でも、主人のことがあるから、「半年ぐらい先でも良いよ」って言われたんです。
 その先生にね。だから、その話で、延ばしても良いなぁって思って心が揺らいでいたんですけどね、O先生から、息子と一緒にお聞きした時に、動脈がしっかりして分厚い人は10ミリぐらいになっても破裂しなし、薄い人は3ミリでも破裂する場合もあるからって言われた時に、「あぁ、私はきっと薄いかも分からないからと思ってね。だから、先生も今がチャンスやと思って言ってくださるんや」って思ってね。私の身になってね、だから、主人のことも考えないといけないけれど、自分のことも大切にしないとと思って。今ね、子どもが亡くなったでしょ、6月に、それに続いて私がいなくなると残された息子がね、かわいそうだからね、お母さんも亡くなり、お父さんも亡くなりじゃ、かわいそうでしょそれもあったし、O先生が何か信頼できる先生だったもんでね。それで、決断しました。
 やっぱり、辛かったですね。したくないし、手術すると何か後遺症が出てこないかなぁとか、そういうこともあったり。手術しようと決めるまでに2ヶ月ぐらいあったでしょうね。もうたくさんね、色々とね、インターネットで調べて、いろいろ書類を集めて、「本を読むよりもね、簡単に調べられるから」って言われていっぱい調べてくれて、それをまた私のところにメールで送ってくれたりしましてね。それで、68才で同じくらいの方がされて、新聞に載ってましてね、“今は安心して生活が出来る”って言われてて、同じ年だし、女の方だったんです。それでね。共感するというか…「わぁ!私にもこんなのがあるわ!」って。私、何にも悪い事していないのに、どうしてこんなのができるんかと、何度も自分を責めましたね、その時は。
 血管が薄いと破裂する確率が高いということは覚えているんですけど、確率的なことは後遺症のことばっかりを考えていたもんで。そこは息子が聞いているかも分からないですけど、私はその辺は適当に聞いて、自分の勝手なところばかりしか聞いてないのでね。良く覚えてないです。
 「外国でも今はね全部が手術するわけではないし、定期的に診断してもらっている方も多いから」って、そういうことを聞かされていたものでね。じゃ、延ばそうかなぁって思っていたんです。
 お父さんが、食べ物がひっかかる状態だったでしょ、痰じゃなくて、それが何時亡くなるか、もうそれが詰まったりしたらすぐに状態が悪くなるからね。お父さんも状態が悪いのに頑張っているんやし、私が頑張って、「お父さんがもしも悪い方に行った時に、それから、ゆっくりと入院してしようかなぁ」と思っていたんです。
 最後に先生に聞いたときに、血管の薄い分厚いという話を聞きまして、大きさには関係ないって、聞きまして、やっぱりこれはしておこうと思いましたね。その時にもう、いっぺんに決めたんですよ。それまではお父さんの事がずっと頭にあってね、年開けて、もしもお父さんにそういう悪い事が過ぎたら私がしようかなあーっていう気持ちの方が大きかったんです。
 延ばすとなると、怖いんですよね。毎日の生活がね、もう帰ってもお父さんの事が看てあげられなくなるかなぁ、もう十分なことも出来ないし、食べることもようしてあげられなかったらどうしようとかね、そちらの方もまた考えたんです。私の方が十分に出来なかったら悔いが残るでしょ。
 力を入れるのがね、お父さんをベットから車いすに移動するのがね、今までだったらパッと楽に出来ていたんです。足も立てない状態なんですけど、カール君を使ってるんですけど、そのカール君を使っても、十分に出来なくて、バシャッと落としてしまったり、椅子の上に、やっぱり力が…なんかこう、気持ちが不安定になってしまってて、やっぱり、抱えることで私が力を入れたら危ないし。
 やっぱり自分の事を考えたのかなぁと思うんです。初めはお父さんのことばっかり思っていたんですけど、いつの間にか、自分の事を考え出したから、手術に踏み切ったと思うんです。それまではね、お父さんがあまり元気じゃないから、とかそんなことばっかり思っていたんですけどね、なんか、先生から「いつ破裂するか分からないよ」って聞かされてから自分のことの方がやっぱりね、長男を一人残しては可哀想だし、今は外国だし、家を守らないとね、と思って、それで、自分の事ばかり考えたのかなぁ。私がやっぱり家のことを守らないといけないと思って。こうやって元気になったのも息子が守ってくれたんかなぁって、思って。まだまだこれからなんです。だから、その時は生きようと思ったんです。それに半身不随になったりしたらどうしようかと、そちらの方がね、死亡したらそれで良いけど、半身不随になった場合に、迷惑ばっかりかけることになるでしょ、それもちょっと困ったことやなぁって、思ってね。そのことも大きかったですね。死亡したらそれまでかもしれないですけど、残った場合にね、周囲の人にみんな迷惑かけるのがね、息子がなんか可哀想だし。
 聞いていたもんですからね。それに怖かったもんやから。先生は“大丈夫、大丈夫”って、いつも押してくださったから、だから、安心して、おまかせしたんです。だから、その時期が、ちょっと先にしようかなあーって、それを思っていたもんですからね。何時かはせんといけないけれど、…でもだんだんと自分が可哀想になってね、ああー、今しておこうと思ったんです。先生のお話を聞いたときにその時にいっぺんに、この度はがんばってお願いしようと思いましたね。
 私ぐらいの頭痛は、今までどうもなかったし、「去年も検査した時もどうもなかったから、大丈夫やなぁ」って思っていましたからね。分かって、聞かされたから、精神的に病気というか、あったから自分も病気かなぁとか、元気やのに病気になったんかなぁ、って思いましたね。うん、動脈瘤があったということで私が病気になったなぁって思ったんです。それまでは一切病気なんて、私がこんなに元気やから、動けているんやと思ってて。分かってから病気になったなぁって。
 身体は別にどこも悪いことなかったもんですから、やっぱり、いろいろストレスがあって、ストレスからでも動脈瘤が出来るんやって、見つけてもらった時にね、私はずーっとイライラしているから、病気になったんかなぁって思ってね。最初は何でこうなったのか見当付かなかったんです。不安はあったんですけど、そんなに…もう頼り切ってるから、決めた後はね、もうお任せしようって、もうどうなるか分からへんでど。大丈夫、私は死なないと思ったんです。その時は、うん。なんかね、強い気持ちになって、自分は死なない、先生が守ってくれるし、子どもも見守ってくれているし、私は死なない。なんか強い気持ちになった。
 私が今死んだら、「みんなが困る」と思ったんです。だから、「死なない」と思いましたね。後遺症は先生も100%とは言わないけど、何かは残るかもしれないけど、1%や2%は…5%の人もあるし、色々その人によって違うって言われて、でも、私は違うっていう気持ちが、何か出てきたんです。
 精神的には、やっぱり、手術してて良かったなぁ、やっぱり、これからも毎日そういうことを考えて生活することでは生活できないと思いましたからね、いつ破裂するか分からない、死ぬかも分からないとかね、もうそういうことばっかり考えて手術まで待つのとね、今はあぁ、良かった、迷ったけれど、これで良かったわ、これで休養ができるんかなぁ、こんなに毎日身体を、休んだことなかったのでね、ホテルに来ているようで、もう元気になってくるとね、本当に、こんなに長い時間ね、休養させていただけたなぁって、だから良かったと思って、本当に感謝しています。先生の最後のひと言で決めた時にね、私は助かるって思ったものね。だから頑張ろうと思いましたよ。
 ルンルン気分なんです。それに、ボランティアもね。元気になって、年はいってきてけど、またそんなことも出来るかなぁとか。
 だから皆さんに守られたんかなぁって、子どもだけじゃなくて、そういう言葉をいただけるのもね、先生が“私がするから”って言ってくださったのもね。普通だったらどうなるか分からんとおっしゃるでしょうから。いろんな事がプラスに向いてきたのかなぁって、私に、そうなるように導いてくれたのかなぁという。だから私は死なないって、その前に日は手術したって助かるって思ったんです。